12月13日
悲しい記憶がうすれていくことは
人が笑ってすごすためには
必要なことだと思う。
絶対忘れられない
って、思っていたことも。
14年の歳月ってすごい。
ってなわけで
すっかり忘れていたのだけど
そしたら
普段は思わないことを
何故か今日にかぎってふと思い
そして、今日だったんだと気づく。
これって
自分の潜在意識からのメッセージ?
それとも
「忘れないで」っていう外からの?
10年をすぎた頃から
命日だと気付かず過ごすこともあって
でもこうやって
その当日に思い出して
はっとしたりする。
理由はないけど
なんで妹だったのか
なんで私じゃなかったのか
と考えたり
「忘れないで」のメッセージかな
と思うことも
助けられなかったことへの
自責の念がやっぱり
どこかにこびりついてるのかな
とか。
そんな気持ちも数年前に
慶妃さんに楽にしてもらったのだけど。
でも、今日という日はやっぱり
何年たっても悲しい日。
姉としての悲しみと
自分が「母」になってからは
娘を亡くした
あの日の母の気持ちを思うだけで
たまらなく心がいたい。
高校時代は厳しくて
勉強のことばっかりゆって
大嫌いだった先生が
当時、受験生だった妹の親友に
悲しくて涙ばかり出て
勉強に身が入らないと相談された時
それが「人」が死ぬという事だ、
だから、それでいいんだと。
大切な人を亡くしても
平気で自分の受験にだけ集中できる人間にならなくてもよい
と、言ってくれたと聞いた。
人の本質って
表面的なとこみてただけでは
わからないもんだな。
こんな事がなかったら
嫌いな先生のままだったかも。
悲しみの真っ最中は
よく自己啓発本とかに書いてある
「何でもポジティブに考えよう」
意味がわからなかった。
人が亡くなるってことを
どうやったらポジティブになんて
考えられるんだろうって。
でも、ほんとのポジティブって
悲しい気持ち、つらい気持ちを
おしころして
前向きな感じで
ふるまうことじゃないよね。
悲しいものは悲しくて
つらいものはつらい。
『過ちて改めざる
これを過ちという』
論語の孔子の言葉らしい。
失敗したこと自体は失敗ではなく
失敗から学ばないことが失敗
だと。
ポジティブってこういうことだよね。
でもそれには
時間がいることもあるよね。
まだ悲しみの中にいる人は
いつか
悲しみが深い分だけ
大きな目に見えないものを
残してもらえたと思えればいい。
今日という日は
やっぱり今年も涙が出てしまった。
でも、いいかな。
悲しみを思い出しても
それで学んだ事を
何度も何度も心にきざみ
決意させてくれていると思うから。
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[2012/12/13 22:30] その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | @
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